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2018年12月04日

あおり運転は人間の未熟さを表す

[つれづれなるままに]
昨年6月に起こった東名高速のあおり運転後の事故についての裁判が始まったらしい。

俺はバイクに乗っているが、小排気量というか見た目小さいバイクに乗っているとあおられたりすることもあった。以前面白半分で車種による煽られやすさを比較したことがあったので、今回はあおる人間について書いてみようと思う。

まず、あおるために必要な要素は第一に「相手の車より速い」ということだ。自転車では車をあおれないのである。その上で、「遅い!」とか「邪魔!」というセンサーが働かねばならない。この2条件は複雑に絡み合っていて、速い車に乗ったことによって相手を遅いとか感じ安くなることも多い。このあたりは「車に乗ると人格が変わる」人に通づる。

車に乗って人格が変わる人は、自分の能力が機械によって大きくなったような気になる人がほとんどだ。100Mを10秒弱で走ることが精一杯の人間が、速いマシンに乗れば2秒ちょっとで走破できる。また、そんな車に乗れば他の車に対して優越感を持って当たり前である。ここで問題なのは、その速さが金で買えるということだ。そもそもの人格とかは一切関係なく、免許を取って金さえ出せばその性能を手に入れられるのである。

本当に速さを追求した場合、遅い車とか邪魔な車はさっさと置いていくのがベターなのだが、この車の性能を自分の力と勘違いする人たちはちょっと違う。相手の車にも人格を見出し、攻撃し始めるのだ。

俺もバイクに乗り始めた頃はそうだった。加速の良いバイクにとって一般車は邪魔にしか見えなかった。ただ、あおっても負けるだけなのであおったりすることはなかった。このあたりが車に乗っている人との大きな違いだ。車の場合、勝てるような気がしてしまうのである。勝ち負けじゃないのに。

実際、2トン車などに乗ると、周囲の乗用車はスーッと道を開けてくれる。デカイ相手には喧嘩を売ってこないのである。喧嘩を売られなければこちらもカーっとすることもなく、譲ってもらったことに対して恐縮しつつ感謝する。

恐縮と感謝、この感覚を持てない人はどういう人か。それは精神的に未熟であることに尽きるだろう。

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posted by oyajiman at 2018年12月04日 22:00:00



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