先ほどニュースを見ていたら、ロンドンオリンピックバドミントン競技での無気力試合についてアレコレやっていた。その中で「信じられない」とか「見ている人の期待を裏切らないでほしい」だとか言っていたが、そもそも負けたほうが次の試合で有利になるのであれば負けたほうがいいにきまっている。優勝する確率を少しでも上げようとした結果でしかない。これがスポーツだからアレコレ非難されるが、ビジネスとか賭け事とかだったらここまで批判はされないだろう。スポーツはいつでも全力がむしゃら体当たりであればいいのか?
これはいつぞや書いた
大住は「フェアプレー精神=いつでも全力がむしゃらプレー」なのか?に通づるものがあるように思う。いつでも全力がむしゃらで負けても手を抜いて負けても負けは負けだ。そんなことはないと言う人に問いたい。適当にやって勝つのとガムシャラ全力で負けるとのどっちがいい?また、みんなにわからないように手を抜いて負けたらどうする?やるだけやって負けるのであればいいと言うのは全くのウソで、それは「悔いが残らない」というだけだ。何十年も経ったあとに残るのはリザルトだけだからな。
ドライに考えればそんなもんだ。それを「スポーツマンシップ」みたいな善意に任せるからおかしくなるのだ。お隣の国もしかりで、こういうことが起きない仕組みを考えるほうがよっぽど効果がある。サッカーは昔々はかなりラフなプレーが多く、選手生命を危うくするようなプレーをする選手もいた。その対策としてファウルの基準を厳しくし、イエローカード累積やレッドカードで次の何試合か出場できなくするといった対策を講じた。ボールも昔は一個しか使えなかったためスタンドにボールを蹴りこむというような時間稼ぎ方法があったのだが、これもマルチボールで解決した。さらには悪質な時間稼ぎにはカードが出るようになった。全て仕組みで対策してきたのだ。
今回のバドミントンも解決方法は簡単で、次に当たる相手をわからなくしてしまえばいいだけだ。善意などに期待しても無駄だ。どんなことをしても勝ちたいと思う選手は必ずいるのだから。