先日電車に乗っていると、前の座席にいるおっちゃん二人の会話が耳に入ってきた。一人は既に会社勤めを辞め、もう一人も定年間近とのこと。
定年間近のおっちゃんは全く経験のない部署に異動させられ、大変な思いをしたらしい。ストレスがたまり、定年を待たずに会社を辞める決意までしていたようである。おっちゃんも大変だなと思ったのだが・・・
「なんでこの歳になってあんな底辺の仕事に回されなきゃなんないんだ」
このおっちゃんの一言で、何となく「回されても仕方ないんじゃないの?」と思った。このおっちゃん、自分の会社の同僚に対してさえ貴賎をつけているわけだ。そもそも底辺の仕事ってなんだ? 誰でも出来る単純作業みたいなことか? そう思うのだったら単純作業に従事してみればいい。体力的にとても大変だし、簡単そうに見えて実は全然簡単じゃない。まずそのスピードについていけないだろう。そのおっちゃんも「全くできない」みたいなことを言っていた。自分で出来ない作業なのに「底辺」とはこれ如何に?
百歩譲って比較的賃金単価の低い単純労働を「底辺の仕事」と定義したとしよう。この「底辺の仕事」なくしてその上位の仕事なんてありえない。全てはこの「底辺の仕事」があってこそ成り立っていることさえわからないのだろうか。
そんなことだからこのおっちゃんは自分の定義する「底辺の仕事」に回されたのだ。会社はこのおっちゃんを働きにくい環境に追いやって辞めてもらおうとしているのである。底辺だかなんだか知らないがこんなプライドなんて不要だし、そもそもこれをプライドと呼ぶのもためらいを感じてしまう。
こうなった理由は多分このおっちゃんにあるんだろうなぁとつくづく思った。