某会社のネットワークは、存在するユーザが一般ユーザのhoge、管理者のadminの2つしか無いらしい。で、その権限の違いを使って、アクセスできる出来るフォルダを区別しているという。こういう管理もアリかなとは思うが、管理者権限ではシステム領域にさえアクセス出来るのがなんともすばからしくて涙が出そうだ。
Windowsはよく分からないのだが、
ユーザーとパーミッションにみるLinuxの設計思想(1/2)を見ると、ユーザ管理はWindowsの方が細かな処理が出来そうだ。また、ファイルの所有権もWindowsの方が細かな管理が出来るはずだ。なのに、そんな機能は全てぶっ飛ばし、2つのアカウントしか存在しいという設計はすごすぎて開いた口がふさがらない。
つか、ネットワークにログオンしたらサーバのフォルダに自動的に接続され、その中には自分のフォルダ、グループで使うフォルダ、全体に公開されているフォルダの3つくらいが見えていれば十分だろう。ユーザアカウントを切り替えればたちまちそのユーザのフォルダにアクセス出来るようにしておけば、PCを変えてもデータは引き続き使えるようになるので非常に便利なのだがなぁ。自分で構築したことがあって慣れているせいもあるのだろうけど、下手にWindowsサーバを使うよりもLinux+Sambaで構築した方が、普通のユーザの感覚にぴったりくるような気がする。
というか、アクセスされたくないものが「見えている」自体どうなんだろうと思う次第。俺は「アクセスされたくないものは見せない」というのが好みなのだが、ここの管理者はファイルやフォルダの所在は明らかにしても開けなければOKと思っているのだろう。見えていると触りたくなるだろうし、なにより不必要なものまで見えるとどれが必要なものかわからなくなってしまう。だけど、こんな環境でも文句を言う人はあまりいないようだ。慣れというのは素晴らしいし恐ろしいね。