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2020年03月11日

あの日から9年が経った

[つれづれなるままに]
今日は東日本大震災が起こった日だ。あの日のことは決して忘れないだろう。大きな揺れと共に停電となり、電車は止まり高速も閉鎖。情報源はワンセグやラジオしか無い。携帯も電話も全く通じず、家族の安否も不明である。

仕事場が少し落ち着いたので、暗くなってから車で家に向かった。あの夜は吹雪で、その上停電ですべてが真っ暗である。視界は数メートル先がやっと見える程度だ。

空はこれに雪が降りしきっている感じで、何かが不吉なものが空を覆っているように思えるくらいだった。


国道は走る車もほとんどなく、建物はすべて明かりが消えている。ホラー映画とかで出てくる人のいなくなった街そのものだ。たまにすれ違う車がいることで少し安心できるくらいの孤独感である。

その車の中で、NHKのアナウンサーが津波被害の状況を刻々と伝えているのを黙って聞いていた。アナウンサーもこみ上げてくるものを抑えきれず、声が上ずったりしているのが印象的だった。

家につくと、家族はみんな居間で寝ていた。ホッとしたのは言うまでもない。

翌日、仕事場は電力が回復していた。そこで福島第一原発1号機の爆発映像を見た。

これは家族を連れて逃げなければならないかもしれん。そんな思いが頭をよぎったが、逃げると言ってもどこへ逃げれば良いのか・・・14日には3号機が爆発した。

この頃には津波の映像も続々と報道され、ネットにも上がって来ていた。宮古市や田老町の映像は我が目を疑った。俺は昔盛岡に住んでいて、海に行くとなれば宮古とか田老とかだった。そのころ、あのバカ高い防潮堤を見て、なんて無駄なものつくってんだろうと思ったものだ。あの無駄に大きく見えた防潮堤をあっさりと乗り越える津波を見て、人間の知恵などこの程度なんだなと思うしかなかった。

あれから9年。いまはコロナウイルスで大変である。しかし、日本人はあの震災でもパニックを起こさなかった。災害の多い日本では、冷静に行動し、みんなが助かる方法を優先する遺伝子をもった人が生き残って来たからだと思う。他の国でどんどん死者が増えているのは、俺が俺がで行動し、被害を大きくしているからではなかろうか。今回の騒ぎでも日本人は比較的冷静で、その冷静さが死者の増加を抑えているのだと思う。

東日本大震災のとき、ぐっと来た映像があったのでもう一度載せておこう。


東日本大震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。


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posted by oyajiman at 2020年03月11日 22:06:00



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