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2015年04月21日

動物に人間のような複雑な感情があるとは思えない

[これでいいのか]
とあるところで、「奇跡的に一命を取りとめ回復したねこが、その後に病気や怪我で弱っている動物が施設に運ばれてくると優しく寄り添い、傷ついた身体を舐めたり、温めるように抱きしめたりするようになった」という記事を見た。ふーん、と、思っただけだったが、この記事の最後のほうが全く頂けない。

わずか2ヶ月という幼い体で病と戦い、その辛さを知っているラデミンズ(この猫)。
同じように苦しむ動物たちを放っておくことができないのでしょう。
以来、ラデミンズはこの保護施設にやってくる動物達を毎日優しく看病しているのだそうです。
きっとラデミンズはこの施設で温かい治療と施しを受けたのでしょうね。
だから自分も同じように他の動物にもしてあげたいと思ったのではないでしょうか。
いい話ダナー、ではない。なぜ人はこんな阿呆な考えを持ちたがるのか理解できない。擬人化するのも程々にするべきだ。このようなものがエスカレートして、水からの伝言のようになってしまうのではないかと思う。

手乗り文鳥などは、ひなの段階で親から離され人間に育てられる。そこで人間に対する恐怖心がなくなり手乗りとなる。この猫も幼い段階で親から離され、看病された。だから看病された状態が刷り込まれている可能性は高い。それどころか、弱っている動物は威嚇などしてこないので近づきやすいだけなのかもしれない。大体猫はくっつきたがるではないか。この猫は単に弱っている動物が好きなだけなのではないか。というか、それが一番正解な気がする。

愛情を注ぐのは構わない。ただ、意味もなく複雑な感情があるように思い込むのは間違いである。特にこの例は思い込ませた上に「癒やし」とか「いい話でしょ」という押し付けが鼻につきとても気持ちが悪い。

猫がそんなにいろいろなことを理解できたら、どんな猫でもきちんとトイレで用を足すはずだし、勝手に人間さまの食べ物を食べたりしないだろうね。


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posted by oyajiman at 2015年04月21日 21:04:00



コメント

七心

現実主義者と動物好きの違いとでも言うのでしょうかね。
先に書くと、私は所謂愛犬家です。(変な擬人化はしませんが)

犬猫に深い感情があるかって話しで言うなら、
多頭飼いで一匹が死ぬと、他の子達が寄り添って哀愁を誘うのはよく有る事。
現実主義者は「そんなの本人は分かっちゃいないだろ」と切り捨て、
動物好きは「仲間の死を悼んでいるんだと」思い泣く訳です。

サバンナでは弱った仲間や子供を群れの中心に囲って移動しますが、
それがただ外敵から群れ全体が狙われるのを防ぐ目的かというとそうでは無い。
ttps://www.youtube.com/watch?v=LEek5P_R-gQ
深い愛情が無いなら肉食獣に食らいつかれた仲間を助けるのは道理に合わない。
助けに入って自分が食われる危険を犯すなんてそれこそ野生でやる事じゃない訳で、
そんな彼等に深い情念が無いと思う事の方が余程現実的じゃないと思うのですよ。

この猫にとってはそれが楽しみになっていたかもしれない。
だって猫にだって個体毎に個性がありますから、猫ってだけで考えても意味無いです。

水にクラシックを聴かせると美味しくなるという話もありますが、
アレと動物を同列にして考えるのは無茶なのではないでしょうか?
水のアレは所謂言霊でしょうし。(オカルト的には水じゃなくて言葉の力)

>>どんな猫でもきちんとトイレで用を足すはずだし、勝手に人間さまの食べ物を食べたりしないだろうね
それは牢屋の中の人間に言ってやるべき事なのではないかと思うんですよ。(^^ゞ
愛情と倫理観は別物で、猫にそこまでの人間性を求めてはそれこそ行き過ぎた擬人化ですから。
2015年04月26日 23:31:58

七心

因みに、家の犬も外でのトイレを覚えるまでの子犬時代は私の布団の上とかでやらかしましたよ。(^^ゞ
今では下痢気味の時とか夜中でも起こしに来て外でしますけどね。

猫もおそらく数ヶ月すれば覚えるのではないでしょうか?
2015年04月26日 23:37:21

oyajiman

七心さん。どうも。

予めお断りしておきたいのですが、私はこういう現象面に、「癒される良い話だよね」というように人間の勝手な解釈をつけて流布するのってどうなんだろうということを書きたかっただけです。私は動物は好きですし、うさぎ、文鳥、インコ、亀、猫なども飼っていたこともあります。田舎では犬もいたし孔雀なども飼っていました。その経験からも動物に感情が無いとは思っていません。だから力いっぱいのコメントに驚くばかりです。

ただ、先の例では勝手に看病していると解釈していますし、例にあげていただいた映像でも、襲われたバッファローが既に瀕死ならどうだったのかは疑問です。そもそも野生動物が相手に反撃されないように殺しやすい子供を狙うのは普通のことですし、捕獲したらまず息の根を止めるのが当たり前。そういう意味では先の映像は勝てる可能性が高かったから反撃したとしか私には見えません。繰り返しになりますが、現象面に勝手な解釈をつけて認識するのは如何なものかと思っているだけです。現象面を現象だけとしてドライに捉えられないから水からの伝言のような話が信じられてしまうのであって、それは非常に危険なことではないかと思います。

トイレの一文は、うちの猫が未だに不安になったりすると粗相をしたりするから、人間の倫理観なんて動物には全く関係ないし理解するはずもないという意味で書いてみました。それだけ。
2015年04月27日 00:58:15

匿名

共感力の違いではないでしょうか。
母性を発揮したり、仲間や飼い主の死を悼んだり…動物にも心はあります。
「ラデミンズの心中を思い、共感した」ということを紹介しただけなのに、それを「押しつけ」とするのは、いかがなものでしょうか。
それを「押しつけ」とするのならば、あなたの記事も「それが一番正解な気がする。」と自分の主観が正しいように思い込み、「意味もなく複雑な感情があるように思い込むのは間違いである。」と押しつけています。

「共感力がない人間は、他者の共感も得られない」ということを学ばせていただきました。
そして「自分が考えたことが一番正しい」と思い込んでいる人は、「他者の言葉を聞き入れず、成長するチャンスを失う」ということも学ばせていただきました。

きっと、反面教師を目指してらっしゃるのでしょうね。
2016年02月11日 23:17:47

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