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2004年05月10日

番外編:カネボウ関連の日経新聞記事

[だめだこりゃ株式会社]
5月5日付けの日経新聞に、24年間カネボウ社長・会長を勤めた伊藤淳二氏のインタビュー記事が載っていた。そのなかの一文に
銀行主導で再建が進むと思ったが、結局は繊維もだらだら続けた。
…略…
銀行は想像以上にカネボウの経営に深く深くかかわってきた。例えば1998年に社長が石原総一郎氏から帆足隆氏に交代したのも、銀行の意向を反映している。銀行は実質的に人事権も握っていた。銀行からは93年以降、役員も含め10人以上の人材を受け入れてきた。過去10年以上、カネボウの経営を管理下に置いてきた銀行の責任は重い。

というものがあった。銀行に責任を押し付けている面もあるだろうが、だめだこりゃ社も同じような境遇であり、他人事とは思えない。
ここにも書いたが、そもそも、銀行に会社経営は無理である。その点だけは断言させていただきたい。

おかしくなっている会社のほとんどは、銀行が経営の実権を握っている所なのではないかとさえ思ってしまう。

だめだこりゃ社も他の例にもれず、有利子負債の削減が企業再生の大きなキーポイントである。現在は金融機関も融通が利くようになり、負債を資本に変えて追加融資をしたりして企業再生に臨むところも増えていると聞く。しかし、だめだこりゃ社のメインバンクは違う。だめだこりゃ社の債権をカットをしてしまえば、他の苦しい企業からも債権カットの申し入れが殺到する。その事を一番恐れている。要は飼い殺し状態を維持することが「事なかれ主義銀行」にはもっとも重要な命題なのである。呼吸が弱くなり今にも死にそうになっている企業を、枕もとにたって黙って見ているだけなのだ。処方箋はあるし薬は銀行が持っている。だが、薬を与えるつもりは毛頭無い。与えれば皆が薬を欲しがるからだ。「今まで薬は十分あたえた、もう薬はない、自分で直しなさい」と瀕死の重症患者に言い放ち見殺しにすれば、銀行は何も痛まない。今まで親身になって協力してきたという建前を全面に出し、ひとつの会社が自然に死んでくのを待っているだけなのだ。このような状態になる前に銀行は貸し倒れ引当を積むから、銀行の数字上の経営内容にはほとんど影響がない。ビジネスであるからリスクは回避するのが当然であるが、地域の産業を守り貢献するなどという姿勢は表面だけ、所詮サラ金と同じ金貸しでしかないのである。

しかし、だめだこりゃ社の経営陣が一念発起して立ち向かえば、どうにかなる可能性が無いわけではない。法的手段にもっていき、一気に債権圧縮もできるのだ。しかし、だめだこりゃ社の経営の実権を握っているのは銀行出身者である。銀行出身者が優先するのはだめだこりゃ社の将来ではなくメインバンクで、銀行に迷惑をかけないことが大前提である。そもそも商売を知らないものが経営できるはずがないのであるが、知らないことを認める勇気もない。表の中にある数字の間違いに気が付くのは早いが、いわゆる生きた数字にはめっぽう弱いのが銀行員である。

そのような人材を送り込み、真綿で首を絞めざるを得ない状況に追い込んでいくのが銀行なのである。
たぶん、銀行にはそういうつもりはまったく無いのであろう。現経営者より銀行員のほうが優秀であると思い込み、人材を送り込んでくるのであろう。しかし実態は違う。銀行が商売の実態より書類の整合性だけを重んじる体質である限り、銀行経営での再生はありえないであろう。

学校の先生もそうだが、世間の荒波にもまれないままの人間は視野が狭いままである。頭でっかちより実践能力である。行動力である。メインバンクがそのことに気が付く日は来るのであろうか。よしんば気が付くことがあっても、その前にだめだこりゃ社はこの世から消えていることだろう。銀行に損が出ないよう人材を送り込んだのだろうが、結果として銀行が損をすることになるのは皮肉な結果だ。

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posted by oyajiman at 2004年05月10日 22:49:10



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