Linuxからアホ話まで、何でもありでござる

2014年02月14日

自分の考えだけを正当化するヤツ

[つれづれなるままに]
知人から聞いた話。

知人の同僚は、俺と同じでオートバイが好きなのだという。マシンは古いレーサーレプリカとのことだが、知人はバイクに詳しくないのでメーカー名もマシン名も覚えていなかった。

で、その同僚はそのマシンにぞっこんらしく、とにかくそのマシンについてだけ語るらしい。知人は半分またかよと思いながらその話を聞いているらしいのだが、いつも途中から必ず自分の主義主張的な話になるのだという。まぁバイク乗りなんてもともと主義主張がそれなりにある奴だから、という話もあるが、その同僚は適当に話を流して聞いている知人でも首をかしげることが多いらしい。

特に引いてしまうのが、全ては自分が基準で、自分の意識が少数派であれば世の中や多数派がおかしいという考えに必ず行き着くところらしい。要は自分が正しく素晴らしいと暗に言っているのが見え隠れしてしまうのが嫌だ、と。

趣味なんて人それぞれ好きにやれば良い話なのに、流行りで大型にばかり目が行くのはおかしいとかお金が無いから乗り換えできないとか言いつつ俺はコロコロ気が変わることはないとか日本最高出力のマシンを賞賛しつつ大型二輪のデメリットを散々言いまくるとか、自分のマシンと自分の考えを正当化することだけに一生懸命なのだという。

バイク乗りには何種類かのタイプがいて、特定のマシンを所有したいという所有欲、マシンを含めての自己顕示欲、マシンを自由にコントロールしたいという征服欲という3つ欲を軸に分類ができるように思っている。例えば俺のようなSS好きは征服欲、ハーレーで集団で走る人たちは所有欲か自己顕示欲、暴走族などは自己顕示欲、名車と呼ばれるマシンをレストアしながら・・・みたいな人は所有欲が軸となっているような気がする。

いずれにせよ、趣味は自分の意識が内面に向かって行くべきものだと思う。人に認めて欲しいという意識だけが強いと、大体その同僚みたいになってしまう。とはいうものの、全ては程度と表現の差による部分も大きいもの事実だ。ただ、認識しておかなければならないのは、他人を不快に思わせてしまうと、それに付随する趣味などのジャンル自体も敬遠されてしまう場合があることである。楽しく語るのはいい。何かを否定し、自分の主義主張を語るだけでは何も生まれないことをその同僚はまだ知らないらしい。残念なことだ。

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posted by oyajiman at 2014年02月14日 01:00:00



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