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2004年03月13日

そのころ私は

[だめだこりゃ株式会社]
そのころ私は、やり手の専務がもってきた業態に従事していた。始めはアルバイトとして働いていたのだが、バイトに精を出しすぎ、大学も卒業できそうになくなってしまっていたので、めんどくさいから社員としてもぐりこむことにした。

どういうわけか、社員になってすぐ店長をまかされたのであるが、右も左もわからない若造のすること、その店は一時赤字に転落してしまった。その専務の直属の部下から、しこたま怒られたのは言うまでもない。

ちょうどバブルの最盛期で、店舗は慢性的な人手不足。なおかつ前任の店長がバイトを甘やかし放題だったこともあり、かなり精神的にまいっていたのだが、一念発起して、半年で立て直すことに成功した。営業時間を短縮し、生産性を上げ、材料費の管理を徹底することで、見る見る収益体質に変わっていった。

その店は2年で次の店長へとバトンタッチし、私は古巣のアルバイトで入った店へ戻った。その店でも、営業利益率25%以上をキープし続けた。

その後、店舗のエリアマネージャーとなったのであるが、そのとき初めてだめだこりゃ社の財務体質の概要を知らされた。

なんと、私が従事していた業態の営業利益のほとんどが「金利」に消えているというのだ。どうすればそこまで借金できるのか、まじめに経営者の能力を疑ったのは言うまでもない。

そのころのだめだこりゃ社は、経営者が「柱」と考えている事業の売上は全社の70%を占めていたが、収益は赤字であった。それに対し、私が従事していた業態は全社のたった10%程度であったにもかかわらず、全社営業利益の60%以上をたたき出していたのである。

そのような状態でも、私の従事していた組織の待遇はまったくよくならず、赤字の業態に従事しているものの待遇のほうがよかった。このあたりから私の中に、「変な会社」という意識が芽生えていったのである。

私は従事している業態に飽きつつあった。そのころ、私の恩人(やり手の専務の直属の部下)が、経営陣との確執で退社を余儀なくされた。この人がいたから、私の従事している業態は高収益をキープできていたのである。そのような人材を無碍に扱うのは、経営者として失格だろう。

その後任者は、経営者のお気に入りであった。その後任に、私は「本社にこないか?」と誘いを受けたのだった。私は仕事に飽きてきたのもあって、特に迷わず「OK」の返事を出したのである。

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posted by oyajiman at 2004年03月13日 20:59:49



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