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2010年12月08日

ボス猫の幻影

[つれづれなるままに]
先日、ボス猫の亡骸を火葬してもらった。7Kg近くあった体重はたったの4Kgにまで落ちていた。肉腫が大きくなっており、塞がっていない左目もきちんと閉じることが出来ない。半分目を開けたその姿は今にも動き出しそうで、もう二度と動くことも鳴くこともないのは信じがたかった。

火葬はこ一時間ほどで終わり、小さくなってしまったボス猫を連れて家路に着いた。

居間の片隅にはボス猫の為に買ってきた寝床が今もそのまま置いてある。その上には、生きているときには外すことのなかったエリザベスカーラーが転がっている。結局カーラーを外してやれなかったなぁと思いながら、その寝床に目をやった俺は一瞬ドキッとした。カーラーをつけたボス猫が寝床の上に丸くなっているように見えたのだ。

カーラーの置き方でそう見えたに違いないのだが、何度見てもボス猫の残像が見えてしまうのである。

ボス猫がいなくなったことを改めて思い知らされ、ちょっと息苦しくなった。その寝床を見ていると気がおかしくなりそうだったので見るのをやめた。

ボス猫が死ぬ数日前から、俺はものすごい頭痛に悩まされていた。その痛みは眼底のもっと奥の方からくる不可解な痛みで、右目の視力は落ち、肩こりの痛みとともに頭痛薬を服用しなければ我慢出来ないほどだ。この痛みはかなりの長い期間に渡って続いていたのだが、ここ数日の痛みは本当にひどいものだった。

その痛みはボス猫が死んだ後も続いていたが、亡骸を火葬してから嘘のように痛みが和らいだ。あのボス猫を死に追いやった線維肉腫は、ボス猫の肉体とともに焼けて失くなった。よくよく考えれば、肉腫で塞がってしまった右目といい大きな肉腫といい、ボス猫の患部は俺の痛かった場所とほぼ同じ場所なのである。あの痛みは、ボス猫が俺に苦しさを伝えていたものだったのかもしれない。その痛みは肉体の中に念として残っており、その肉体の焼失とともにボス猫は本当の意味で苦しみから解放されたのかもしれない。そんな気がしている。

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posted by oyajiman at 2010年12月08日 23:00:00



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