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2009年10月18日

抑止力としての「実名」

[つれづれなるままに]
先日のネットは実名でもこじれやすいというエントリで小倉弁護士のことを書いたら、本人らしき人がコメントしていってビックリした。ビックリしたついでに小倉弁護士のサイトに行ったら、匿名実名に関連するエントリが2つもアップされていてまたビックリした。

la_causette: 夢想家でも完全主義者でもない
la_causette: うじうじ君をいきいきさせるには大きすぎる代償

こういう法に携わっている人の「現実の話」を読むと納得する面も非常に多い。予期せず不利益を被った人をどのように守っていくのか、我々一般人ではなかなか遭遇することが無いであろう境界線の近くにいる人の考えは深く重い。簡単に言えば「踏んだ場数が違う」ということなのかもしれん。
法学系の人間は、ある対策を講じたらある種の行為が完全になくなると考えるほどの夢想家ではありませんが、だからといってその対策が講ずるに値しないと考えるほど完全主義者でもありません。社会的に好ましくない事態の発生頻度をそれなりに減少させることができるのであれば、それはそれで意味があると考えるのが、法学系の基本的な発想だろうと思います。
この部分にはちょっと感動した。「今更何言ってんだ」みたいな思いも少しあったが、それは個人への勝手な思い込みがそう感じさせているにすぎない。誰が書いたかではなく、何が書かれているかというエントリに主軸を置くことができるのがネットのいい面でもあるのだから、頭をリセットして読むのも必要なのだと感じた。

話は全く変わるが、バイクのヘッドライトが常時ONになったのはなぜだかご存知だろうか。ぞれは「ライトをつけることで他の車両から認識されやすくなって事故が減るから」なのだ。ライトだけでなく、排気音が大きいバイクの方が事故が少ないらしい。匿名実名の話を聞く度、なぜか俺はこのことを思い出す。注目度を上げることは攻撃対象をはっきりさせてしまう一方で、「自分の身を守る」ことにもなっているのではなかろうか。

身を隠すには人ごみの中に紛れるのが一番だ。逃げるときは一旦人ごみの中に紛れ込み、そのまま安全なゾーンへ逃げ込めばOKである。しかし、誰もいない場所で闇討ちされても、闇討ちされたことさえ誰も知らない。ネットイナゴと称される人はそんな運命なのかもしれない。

死して屍拾う者なし
(匿名同心心得の条)


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posted by oyajiman at 2009年10月18日 23:00:00



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