あらかじめお断りしておくが、俺はヒップポップは嫌いというほどでは無いのだが好きにはなれない。そして、坂本龍一についてはYMOあたりからずっとファンだ。逮捕された小室も、絶頂期のころはかなり教授を意識していたように思う。小室が見た目も真似、映画に進出し、(教授のように)世界的な名声を得たいと思えるような動きをしていたのは今でも覚えている。
その教授の
ああ、昔にもどりたい 坂本龍一「日本のHip-hopはメッセージ性無いオモチャ」という発言が一部の人の間でちょっとした物議を醸し出しているようだ。
教授の映像を見てみたが、特に強い印象は持たなかった。慎重に言葉を選んだ上での発言に感じたし、自分の意見を述べただけに過ぎないように見えた。最初に書いたとおり、俺はヒップポップはどうしても馴染めない。リズムも歌いかたもファッションも、俺の感性はどうしてもヒップポップを受け入れられないのだ。だからあの発言を聞いて「もっともだな」と思う点はあっても、疑問や不快感は一切無かった。
逆に、YOUTUBEに出していた
ZEEBRAの汚い単語を喚き散らした発言は非常に不快であった。なぜ日本語で言わないのか不思議だという冗談はさておき、自分のやっていることを否定されたり、思ったとおりに事が運ばなかったときの感情をただただぶちまけるのは頂けない。信念を持ってやっているのであれば、理解されないことを嘆き伝えられない自分の力の無さを悲しむべきではないのか。理解していないであろう相手を罵った所でなにも変わらない。そんな人間としての器の小ささを、全世界に向けてわざわざ発表する必要もなかろうと思う。教授の言うようなマーケティングの一環ならわかるが。
今年の春に
平城遷都1300年祭のマスコットキャラクター
せんとくんが「かわいくない」「気持ち悪い」とケチョンケチョンにけなされたのは記憶に新しい。しかし、このキャラをデザインした
籔内佐斗司氏の対応は真摯であった。すでにそのQ&Aは削除されているため、
「奈良遷都祭」キャラ作者 批判メール対応に「感動した」-J-CASTニュースとか
稲妻のような衝撃。- SORA blogなどにその一部が残っているだけなのが残念だが、このときの
籔内佐斗司氏の対応には感動すら覚えた。月日が経ち、いつのまにか「せんとくん」を見慣れてしまったのだろうか、あの騒ぎはとっくに鎮静化してしまっている。騒ぎなんてこんなものなのだ。
自分の好きなものや信じていることを否定されて気分のいい人はいない。しかし、自分の好きなものが他人も好きだとは限らないのもまた事実である。否定された事実を受け入れられず、否定された事に腹を立てることは愚かとしか言いようがない。対象を拒否せず認めることが、事実を客観的・水平的に認識する前提条件だ。そのことを知らない人が多すぎるように思う。
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