Linuxからアホ話まで、何でもありでござる

2007年10月09日

ニュースが無料で読める恐さ

[だめだこりゃ]
ニュースが無料で読める恐さについて考えたことがありますか?:イザ!



おっしゃることはある面ではごもっとも。タダほど恐いものは無いとはよく言ったもので、民放などは視聴者から金を取らないために下らん意味不明のコンテンツしか流せなくなっているのは既に御承知の通りだ。

しかし、しかしである。コスト負担のために「新聞を買え」ってのは余りにも時代逆行しているとしか思えない。これは記者は新聞のような大樹がなければ記事を書けないという事なのか、それとも個人では勝負できず、しかし記者は資本関係とかコスト負担とかというしがらみには関係ないようにしたいということなのか、非常に理解に苦しむ。

公平なニュースが欲しければコスト負担のために新聞を買えという理論がまずおかしいのである。新聞が広告掲載を一切やめるのであればこの理論は成り立つかもしれないが、そうでないのであれば言っていることに矛盾ありだ。スポンサーに依存している状況でなければ広告掲載などしなくても大丈夫なはずであるから、いますぐ広告掲載をやめるべきではないのか。

そもそも、昔の記事のアーカイブもしない今の新聞社のサイトなど利用価値はほとんどない。データベースとして機能していないのであるから当然だ。なぜデータベース化しないのか、なぜ過去記事を平気で削除できるのか理解できない。記事こそが新聞社の資産あり存在価値ではないのか。その資産や価値を平気で捨てることが出来るところに価値を見出してくれと言われても困ってしまう。

週刊誌の売上も激減しているらしいが、これは雑誌の中の「欲しい情報」がたった数ページしかないからだ。新聞とて同じで、あんなページ数の紙面など必要ない。画面で確認し必要なものは印刷などしておくスタイルに変わっていくのは間違いないと思う。そういう意味では、今の新聞社というスタイルを維持することは多分難しい。記者の集合体のような形に変化し、記事を一般に提供するコストを大幅に圧縮する必要があるだろう。配達員や販売店のコストも含んだ紙面では、ニュース内容だけで勝負するにはコストがかかりすぎることくらい誰が考えたってわかる話だ。そのコストを誰が負担しているのかと言うと、実は折込チラシを入れている業者だったりするわけ。このような収益構造を変化させようとせず、今の体制を維持するために新聞を買ってくれなんて「おまえは何を言っているんだ」としか思えない。

もっと言うとだな、公平とは思えない新聞に対し「新聞代を支払うのは、民主主義の基本となる国民の知る権利を守るために支払うべきコストである」なんて思っている奴がいるのかって事だ。自分達こそが正義であると言っているふうにしか読めないのだが、どうか。週刊誌の方がスクープは多い事実を新聞社はどうとらえているのだろう。TVで流れているのと同じレベルでしかないニュースに金を払えと言うのであれば、「それは違うだろ」というしかないと思う。

1000歩譲ってだな、いつまで古新聞に出さなきゃならない新聞買えばいいんだよ。そこまできちんとしゃべらんかい。



ブログランキング・にほんブログ村へ
posted by oyajiman at 2007年10月09日 01:17:31



コメント

コメントはありません

トラックバック

トラックバック
このエントリにトラックバックはありません
このトラックバックURLを使ってこの記事にトラックバックを送ることができます。 もしあなたのブログがトラックバック送信に対応していない場合にはこちらのフォームからトラックバックを送信することができます。.

コメントする