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2007年06月10日

ネット社会の錯覚が勘違い野郎を生む

[つれづれなるままに]
ネットをうろうろしていると、おやっと思うような人のサイトに辿り着いたりすることがある。そのサイトがBlogであったりすれば、現実社会では会話をすることが無いような相手であってもサイトにコメントを残したりすることが出来る。訪問者はコメントを残したというだけで、その人との距離が少し縮まったように感じるかもしれない。もしそのコメントになんらかの反応があったなら、距離感は一気に縮まるだろう。

また、自分のコメントに反応がない場合でも、他の人のコメントのやりとりを読むうちその人の意外な一面が垣間見えたりすることがある。その意外な一面が妙に俗っぽかったり庶民的だったりしたとき、相手との距離感がぐっと縮まるような感じを受ける人は多いのではないか。

この感覚が、いままで相手にされるはずもない異次元の人間が一気に自分のレベルまで降りてきたような錯覚をもたらし、そして大きな勘違いが始まる。

この勘違いは、実は現実社会でもよく見ることが出来る。例えば高級レストランに勤めるウエイターは、その店の性格上、普通であれば話もすることがないであろう人と実際に会話をする機会があったりするものだ。その会話は知人の関係での会話ではないのだが、ウエイターの中にはさも顔見知りになったような錯覚を持つ奴もいる。「虎の衣を借りた狐」の感覚なのかもしれない。それだけでなく、自分のポテンシャルも相手と同じだなどと勘違いする阿呆も出てくる。そしてその阿呆は、したり顔で「俺はあのひと知ってるよ」と言うのだ。

現実社会では感じられる潜在的なパワーを感じとりにくいネット社会では、勘違いする阿呆は現実社会よりも多いはずだ。

有名人や著名人だからといって、その人の前で卑下する必要はないだろう。しかし、相手の力量を見極めないと恥をかく。恥をかいたという自覚がある人はまだいいほうで、恥をかいたことも判らずにいる人間を見るのは辛い。相手の力量を見極める力をつけたいものだ。



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posted by oyajiman at 2007年06月10日 08:10:00



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