Linuxからアホ話まで、何でもありでござる
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2009年06月10日

「残念」とは期待が外れたときに使う言葉

[うんちくん]
日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) - ITmedia News
Web、はてな、将棋への思い 梅田望夫さんに聞く(後編) (1/3) - ITmedia News
これがアップされるころにはすでに沈静化していると思うが、話に少々違和感があったので書いておく。

なんといっても不思議だったのは、このあたり。
英語圏ネット空間は地に着いてそういうところがありますからね。英語圏の空間というのは、学術論文が全部あるというところも含めて、知に関する最高峰の人たちが知をオープン化しているという現実もあるし。途上国援助みたいな文脈で教育コンテンツの充実みたいなのも圧倒的だし。頑張ってプロになって生計を立てるための、学習の高速道路みたいなのもあれば、登竜門を用意する会社もあったり。そういうことが次々起きているわけです。

 SNSの使われ方も全然違うし。もっと人生にとって必要なインフラみたいなものになってるわけ。
そういう使われ方を望んでいたけれどそうはなっていないことが「残念」の理由の一つのように読める。しかしそれは逆ではないのか。

電話の使われ方を見ると、電話が高価だったころは「意味も無く長電話するな」とか言われ、本当に必要なことを伝えるために使うものだった。それが一家に一台が当たり前になり遠距離の電話料金が引き下げられるなどしてコストが下がった結果、遠距離井戸端会議的な使われ方も多くなったし、それが否定されることも少なくなった。そして携帯の普及によって一人一台の時代がやってきて、通話以外にもメールというツールも身近なものになった。そしてその使われ方は、今まで以上に「遊び」の要素が増えたといえる。

webとて同じで、人生にとって必要なインフラという状態を飛び越えて「遊び」にシフトしたのが日本ではないのか。そういう意味では、より成熟した使われ方なのではないかと思う。というか、知の伝達みたいなものだけであればメールやメーリングリストだけでも十分間に合いそうだ。

後編の近藤氏への思いを読む限りでは、かなりの自信と自負をお持ちのようである。であればなおさら、webを上に上がるためのインフラとして使うにはどうしたらよいのか、せめて方向性だけでも示すべきではないかと感じる。それが「将棋」だと言うのであれば残念だ。

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2009年06月08日

禿と貧乳

[うんちくん]
最近、「禿」と「貧乳」って似ているなと思う。似ている点を列挙してみる。
身体的なコンプレックスになりやすい。
無くても死ぬわけじゃない。
あったからといって幸せになれるわけではない。
隠す気になれば隠せる。
気にしない人は全く気にしない。
毛嫌いする人もいる。
コンプレックスに感じている人は、意味も無く「あった方がいい」と思っている。
無いことのメリットは自虐的に語られる。
ビジネスになる。
怪しげな民間療法がある。
無いことを指摘するのはタブーとなっている。(無い人同士は可)
こんなにある。ものすごく似ていると言ってもいいだろう。違う点といえば、ズラとか発毛剤とかはゴールデンタイムにCMが流れているのに対し、豊胸関連グッズは良くても深夜の通販番組にしか出てこないくらいだ。この点では各種珍宝対策に似ていると言えなくもない。

気になる人に「そんなこと気にするなよ」と言うのは野暮である。しかし、あまりに神経質になりすぎるのもどうだろう。気にしすぎると逆に強調されてしまったりする。絵でもうまく描けない部分だけを手直ししていると、離れてみたときその部分だけが異常に目立ってしまう。何事もそんなもんである。

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2009年05月19日

紙の本は当分無くならないと断言してもいいかな?

[うんちくん]
紙の本が100%亡くなると断言できる、たった一つの理由 - 今週の天牌

紙の本が無くなる・無くならないというのがいつまでのことなのかはっきりわからないので、とりあえずここ10年くらいと言うことにしておこう。TBとか読むとみんな同じようなこと書いているんだけど、俺も「当面はなくならないよねうんちく」に便乗してみる。

紙の本というか、紙媒体のすごさって言うのは3つほどあって、まずひとつはコンテンツを表示させる道具が必要ないということ。当たり前だけど紙媒体を読むための変換装置は必要なく、リーダーは人間が既に内蔵している。レコード・CDなどと大きく違う点はこれで、レコード・CDなどは必ず再生機器がセットになっているため、双方の技術が相乗的に革新されてきたからメディアも交代したんだよね。そんな音楽メディアと紙媒体を比べることは少々無謀かもしれんね。

もうひとつの紙媒体のすごさは、その情報量だ。これものちのち表示機器の解像度が解決してくれることかもしれないが、現状ではPCのディスプレイなど、まだまだ紙媒体の解像度までは表現できていない。極論すれば、紙媒体に追いつかないから未だにPDFのようなフォーマットやプリンタが存在していると言っていいだろうね。

最後のひとつは情報量とも関連するのだけれど、紙媒体による情報は、本来不必要であるような情報まで一緒に視界に入ってくること。そもそもそのものズバリの情報なんてそんなにない。あることを調べるためいろんな情報をなんとなく脳にインプットしていったら、ある日突然「ひらめいた!」みたいな経験のある人も多いのではないかと思う。これは、そのときは必要ではないと思われた情報が後々脳で整理された結果で、そんな一見不必要な情報をも一緒に取り込める媒体が紙媒体ではなかろうか。紙媒体は思った以上に一度に沢山の情報が入ってくる。それも必要なものから不必要と思われるものまで一緒に。解像度が低くて物理的な実体を持たない電子コンテンツではこうは行かない。

ただ、これらの「すごさ」は、BMI(Brain Machine Interface)が本格的に導入されると一気に崩れてしまうかもしれない。それまで紙媒体は無くならないよ。そういう意味で、最初に「10年くらい」と逃げを打ったチキンな俺だけどそれがなにか。

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2009年05月12日

「100円マック」でも儲かるなんてレアケース

[うんちくん]
なぜ「100円マック」でも儲かるのか:マック式ファイナンス論(プレジデント) - Yahoo!ニュース

さてさて、この記事を読んで納得した人は少々アブナイ。なにがアブナイって、こういう販売方法で利益をあげることができるなんてことはほとんどありえないからだ。これはマクドナルドだからできる事と思った方がいい。

理由は簡単。販売数が20倍になるなんて普通はありえないし、先日のエントリでも書いたとおり、人間の胃袋は突然大きくなったりしないからだ。

例えば、月商3000万円のマクドナルド店があったとしよう。客単価600円とすれば月間の客数は50000人。一人一個はハンバーガーを食べると仮定しても5万個は売れていることになる。これがすべて20倍になるわけではないだろうが、仮に5万個を20倍すれば100万個となる。あいやー、人口20万の都市なら、市民全員が最低一週間に一回はハンバーガー食ってることになるね。マクドナルドの主購買層は15〜50才くらいだろうから、この人たちに至っては一週間に2・3個はハンバーガを食ってもらわんと達成できない数字なんだよ。

これは最初はありえる話かも知れない。しかし、そんな状態が続くなんて有り得んだろ。ハンバーガーばかり食ていたら飽きちゃうし、安いから次第に金が余ってその金でちょっと贅沢するしね。すると、ハンバーガーがそんなに「ばかウマ」って物でもないってことが再認識されて・・・以下繰り返しで最後は結局「価値と価格」のバランスしたところに落ち着くわけよ。というか、商品価値は値段で決まるんだよね。だから、その価値を下げる安易な安売りはダメなんだよ。この記事が出たときは我が世の春みたいだったけど、その後をみてご覧よ。この「安さで無理やり食わせた」ツケで、一時期マクドナルドは大変な状況になったじゃないか。

改めて言うけれど、食い物屋はもう一つのバランスがあって、それは人間が食べる量には上限があるってことからくるバランス。この食べる量を巡って、自炊(食料品販売)とか中食とか外食とかが奪い合っている。当然ここには「値段」も絡むけれど、実際の上限は「食べる量」で決まる。この一つのパイを如何にして奪うかという話なんだ。とにかくパイを奪いたいなら、そこそこの食事をタダで提供すれば一人勝ちできるだろうけど、そんなの続けられるわけもない。上記のマクドナルドの100円バーガーなんてこの手法に近い物だよね。で、一時期勝ったように見えたマクドナルドも、結局以前に近い状態に戻った。いわゆる「勝者」は誰もいないんだよね。

だから、あくまでこう言う例もありましたレアケースだけど、としておかないとね。

しつこいけれど、やっぱり商売は「価値と価格のバランス」だろ。バランスを意図的に崩したツケは、必ずどこかで出るもんだよ。

これからの低成長というかゼロ成長時代は、誰かが勝ったらその数倍は敗者が生まれることになるだろう。そうすればゼロ成長どころかマイナス成長に突入だ。欲の皮を突っ張らせる奴が多ければ多いほどヒドい状況になりかねないと思うよ。そういう意味でも、こういう話を信仰しちゃダメだね。

[関連エントリ]
商品価値は値段で決まる
安売りはだめだっていっただろ

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2009年05月11日

コンビニ店主「見切り販売」の動きを考察

[うんちくん]
asahi.com(朝日新聞社):コンビニ店主「見切り販売」の動き 販売期限前に値引き - ビジネス・経済 (1/3ページ)

以前コンビニ弁当を値引き販売すればどうなるかその補足を書いたが、そんな話は抜きにして「見切り販売」をする上での注意点を思いつくまま書いてみる。

その前に、上記の朝日新聞の記事だが、計数的にはかなりアヤシイ。まず一日の廃棄ロスだが、これが仕入価格なのか販売価格なのかははっきり判別できない。さらに、
複数のオーナーによると、1カ月間に出る廃棄は1日の売上高が目安だという。少なく見積もって売り上げ40万円の店なら、1カ月で40万円分の廃棄が出ている計算だ。
西日本のセブンオーナーは、3月から弁当や総菜などの見切り販売を始めた。本部指導員からは「全店に広がったらセブンはつぶれる」と言われた。1カ月間に出る廃棄の量は「半分以上も減った」。値下げをするため、売り上げは5%減(前年同月比)だったが、店が負担する廃棄代が減ったため利益は逆に3割以上増えた。
の下りをまともに受け、かつ見切り販売といえども原価割れしない値付けにしたとして判断すると、月々40万円の半額である20万円がそっくり利益になり、その20万円が30%の利益増ということになる。つまり元々の利益額をXとすれば
(X+20)÷X=1.3
という式が成り立つ。これを解くとXは約66.6万円。これに減価償却などが含まれるか判らないが、コンビニ店主の給料は当然費用計上されているだろう。ということは、オーナー店主であれば約67万円+給料+廃棄減による利益20万円(減価償却が計上されていれば+減価償却費)のキャッシュが手元に残ることになる。意外とおいしいじゃないか。

と、ゲスな勘ぐりはこの辺で止めておいて、実際のオペレーションを考えた場合、見切り販売は困った問題を引き起こす可能性はある。

一番問題であろう事は、販売数が予測しにくくなるということだ。俺の会社でも、ある食料品を売価変更しながら販売したことがあるが、販売数の予測は非常に難しかった。コンビニはPOSからの販売データを細かに分析していると聞く。このデータがほとんど使い物にならなくなる可能性は高い。だって、値引き開始時間と値引き額という、可変的な要素を分析データに織り込んでいかなきゃならないんだもの。考えただけで嫌になっちゃう。

二つ目に、人間の胃袋は大きくならないってこと。以前マクドナルドで100円バーガーを販売したとき、みんな我も我もとハンバーガーを喰いまくった。そのときは他のハンバーガーショップは元より、外食産業全体がマクドナルドに喰われた。何でかといえば、人の食べる量なんて増えるもんじゃないから。弁当も含めた外食産業は全体のパイはあらかじめ決まっていて、そのパイを奪い合う傾向が非常に強い。そもそも廃棄ロスを減らすには、適正な発注数でロスを少なくするか、全体的な販売数を伸ばして相対的に販売ロスを減らすしかない。弁当の販売数を増やす戦略として「見切り販売」をするのであれば、最終的には見切り販売をしなかった頃と同じ結果に収束し、売上減少という結果しか残らないと断言してもいい。

三つ目に、コンビニ弁当を値引き販売すればどうなるかにもちょっと書いたが、かなり早い段階から見切り販売してしまったり、下手をすれば「横流し」するなど、コンビニのシステムをぶち壊してしまう加盟店が出ないとも限らないってこと。

まぁ、いずれにせよ狙いが「利益アップ」なのであれば、値引き販売はいい結果を招くことはないと思うよ。

[関連エントリ]
消費期限の長さとロスは反比例する
セブンイレブンへの排除命令は当然だが
コンビニ問題で思うこと
コンビニ弁当を値引き販売すればどうなるか
廃棄チャージ理論はおかしい
商品価値は値段で決まる

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2009年05月08日

非喫煙者は空気が読めなくて当然

[うんちくん]
なんで非喫煙者は空気が読めないんだろうねぇ:訃報のはてブで思った

空気を読むというのは比較的高度な思考で、いろいろな角度で、かつ相手の身になって場面を想定する必要があるのはいうまでもない。簡単に言えば想像力と先を読む力が必要になる。

ここで一番大きな問題になるのは「相手の身になって考える」ということである。

この「相手の身になって考える」という言葉は誤解を招く可能性が高いもので、本来は「自分の身に置き換えてみる」思考である。だから「相手の身になって考える」という思考は相手の事を主体にして考えているのではなく、自分の身に置き換えて「自分がされたら嫌だ(うれしい)から」という考えが最初にくる思考なのだ。つまり、「相手の身になって考える」という言葉では相手の事を考えているような雰囲気を漂わせているが、現実には自己主張の発展形なのだというからくりを覚えておかなくてはならない。

もう少し掘り下げると、自分が何とも思わない事由については、いくら考えても考えさえ浮かばない。これも当然で、何とも思わないことは自分には興味のないことだからである。興味のないことを自分がやっている姿など具体的に想像するのは難しい。これは自分の経験と密接な関連があるらしく、経験していない事については興味も薄く想像も働きにくいらしい。

そういう事を知っていれば、非喫煙者が空気が読めない理由も説明がつく。今まで一度も煙草を吸ったことがない非喫煙者であればなおさらで、非喫煙者は喫煙者としての自分を想像できないのである。悪い言葉で言えば、「馬鹿」に「馬鹿」と言っても無駄みたいな話なのだ。さらに恐ろしいのは「禁煙」は既に擬似宗教化しており、この教えを盲信する人がいるということだろう。盲信ほど恐ろしい物はないのは昨日も書いた

もし喫煙者が外部に煙を一切漏らさない喫煙具を使った場合、禁煙を叫ぶ人はどのような反応をみせるのか非常に興味がある。煙が全く外にでない器具を使ったとしても、禁煙を叫ぶ人は煙草の害を声高らかに叫ぶような気がしてならない。なぜならその人たちは「煙草が嫌いな自分」しか知らず、そんな自分自身しか他人に投影できないからだ。

だから、喫煙経験のない禁煙推進派と喫煙者とは決して相交わる部分はないと思う。それでも中を取り持つ人たちがいれば、もうすこしギスギスしないで済むような気がしないでもない。禁煙・喫煙派ともに被害者ぶっているが、実は「禁煙・喫煙なんてどうでもいい」派が一番迷惑を被っているんじゃなかろうか。といってもこの人たちはこの人たちで「なんでそんなことで騒いでいるの?」って感じかもしれんけどね。

[2009年10月22日追記]
このエントリは本来煙草の話ではなく、「自分の考えは自分の経験の範囲内からはみ出すことはない」ということを書いたのだが、タイトルや一部のたとえから煙草の話と混同されがちのようだ。かといって、このサイト全部嫁とか一部分で脊髄反射はどうなのよなどといっても始まらない。よって、このエントリの意図を汲んでみたい人のために、ついでに読んでもらえるとうれしいエントリをあげておく。

禁煙したい人へ
文章の意味は読んだ人の捕らえ方で決まる
不幸思考回路の排除 その1その2

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2009年05月01日

ウイルスを「死ぬ」とは言わない

[うんちくん]
以前からものすごく気になって仕方がないのが、ウイルスが死ぬって言い回しだ。ウイルスと言っても電子的なウイルスではなく、今回の豚インフルエンザウイルスのように物理的な実体を持ったウイルスなんだが、このウイルス、生物学上は「非生物」とされている。

詳しくはウイルス - Wikipediaなどを見てほしいが、この記事の概要冒頭でも
ウイルスは細胞を構成単位としないが、他の生物の細胞を利用して増殖できるという、非生物と生物の特徴を併せ持つ。現在でも自然科学は生物・生命の定義を行うことができておらず、便宜的に、細胞を構成単位とし、代謝、増殖できるものを生物と呼んでおり、細胞をもたないウイルスは、非細胞性生物または非生物として位置づけられる。
とある。ウイルスは単体では自己増殖できないのだ。生物ではないのだから、死ぬという言い回しは明らかにおかしい。

そもそも生きていない物は殺せないのである。感覚的には「停止させる」のようなニュアンスでの「ウイルスが死ぬ」なのだろうが、こういう細かい点に留意しないからウイルスと細菌の違いも判らない輩が増えるのだと思う。

だから、今回の豚インフルエンザの報道にも出てくる「ウイルスは70度以上で調理すれば死ぬ」というのは表現として適切でなく、「ウイルスは70度以上で調理すれば破壊される」などと表現するべきではなかろうか。

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2009年03月10日

業務委託契約は計画的に

[うんちくん]
先日TVを見ていたら、「どこかの自治体が学校給食を民間に委託するんだけどこれってどうよ」みたいなことをやっていた。学校給食のうち、調理行為とかの一部だけを業務委託するらしい。

思っているほど業務委託は簡単じゃないからね。いや、はっきりいって面倒だから。業務委託するんだったら絶対丸投げだよ。業務の一部だけを委託するっては今の日本みたいに「取り合えずお前ら適当にやっとけ」がはびこっているところでは非常に難しい。わかってないね。

一部だけを業務委託するときは、その業務についてピンからキリまで、それこそ「そんなことまで決めるのかよ」くらいまで取り決めしておかないとだめなんだよね。まぁ、適当にやっていてもそのうちうまく行くようになったりはするもんだけど、それは委託先・受託先ともに比較的アバウトな場合で、どちらかがずる賢かったりするともう大変。気がつくと受託先に主導権を握られ、どっちが依頼主なのかわらんくらい受託先の方がのさばっていたりするんだよな。

今回の給食の話だと、食材の仕入は自治体、メニュー・栄養管理も自治体みたいな感じらしい。それで受託先がどうやって儲けるのかよくわからない。となれば、行き着く先は人員削減か賃金の安い人員にするかしかないだろ。もしそれが出来るのであれば、自治体で雇っている人が多かったか能力が低かったかのいずれかだ。実際そういう事も無きにしも非ずだろうけれど、人を変えたからといって劇的に生産効率が上がるとも思えない。

つか、業務委託って、基本的には安くならないんだよね。委託した業務に関わるコストは少々落ちることもあるけれど少々だし、業務委託によって新しく発生するコストってのは思ったより多いのさ。経費削減とか生産性アップってのは、業務を完全にマニュアル化して人の工夫とか個人の能力に頼る部分や考えたり判断したりする要素を排除するか、もしくは少数精鋭でガンガン行くしかない。マニュアル化出来るところは定形業務が多く、業務委託もIT化も意外と簡単だったりするのだけれど、そうでない部分は業務委託で費用が平準化するだけなんだけどね。

まー、がんばれ。

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2009年02月21日

懐かしのポップキャンデイの棒はなぜ紙なのか

[うんちくん]
小さいころ、誰しもが食べたであろう不二家のポップキャンディ。小遣いが30円とかしかなかった時代、一本10円のポップキャンディは駄菓子屋での必須定番メニュー。口からあの白い棒を突き出して歩いているガキンチョが多数いたのは言うまでもない。その懐かしのポップキャンディだが、あのキャンディの棒はなんで紙なんだろうってことはすっごい昔からの疑問だった。

不二家のポップキャンディに行くと、その答えはあっけないくらい簡単に見つかった。あの棒は、やはり最初はプラスチック製だったらしいが、子供たちの安全を考え紙製にしたとのことだ。確かにあの棒で口を怪我したような記憶は全くない。

不二家といえばミルキーを思い浮かべる人も多いと思う。商品としてもミルキーの方が古いようだ。だけどポップキャンディも忘れちゃいかん。おっと、パラソルチョコとかペンシルチョコとかネクターも不二家だったな。こう見ると、ものすごい量の不二家製品を食ってる気がする。恐るべし不二家。俺の体の一部は不二家で出来ているに違いない。

最後に、有名なクイズを一つ。

ある日ペコちゃんがお風呂に入っていました。ふと窓を見ると、窓の隙間からポコちゃんがこちらを覗いています。覗きに気がついたペコちゃんが、ポコちゃんに言った言葉は何でしょう。

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2009年01月25日

あらっ便利・・・でもないんだけど

[うんちくん]
俺は納豆が大好きだ。俺の小さいころの納豆は、今よりはるかに粘りが強く、混ぜているときに割り箸が折れることさえあった。においも今より強烈だったように思う。俺の地方では、納豆は経木に包まれて売られていたような記憶がある。そのあと、今のような発泡スチロールの容器になるのだが、そのサイズは今では少数派になった大きいサイズのほうであった。

バブルの最盛期あたりまで、納豆はきれいな右肩下がりで人気を落としていっていたように記憶しているが、コンビニでおにぎりが売れ始めるのと時期を同じくらいにして、起死回生の一人用小型容器納豆が出てきた。そして、納豆の復活を大きく後押ししたのが、「たれ」の同封であった。たれが同封されることで、納豆は手を加えて食べるものからコンビニエンスなフードに変化したのだ。

今のままでの十分ではないのかと思っていたが、たれの袋を破くときにたれが飛び散るとか、うまく破けないとかという不満は確かにあった。さらには、納豆の上に被せられているビニルが邪魔くさい。そんな不満を解消すべく、こんな納豆が誕生したのはCMなどでご存知のとおり。

新容器、あらっ便利!誕生 - mizkan

朝食になぜかこの納豆が出てきた。新し物好きの俺の胸が高鳴る。パックを開けると、おお、本当にぷるんぷるんしたたれが入っているじゃないか。つか、これってゼラチンで固めただけじゃないの?なんて思いつつ、納豆にぶち込み混ぜてみる。

ん?固まりがそのまま残ってる。もう少しハードに混ぜなきゃだめなのか・・・

俺は箸の回転数を上げた。しかし、思った以上にこのたれは頑固者である。おっと、力余ってつい容器に穴を開けてしまったぜ。それでもたれは混ざらない。

めんどくせーのでそのまま食べる。たれの固まりにあたるとすげーしょっぱいんですけどmizkanさん。ぜんぜんダメじゃん。

もしゼラチンのようなもので固めているのであれば、そこそこの温度がないと液状にはなりにくい。その日は気温が低かった。たぶん気温のせいだろう。といいつつ、普通の家では納豆は冷蔵庫に入れているだろうし、北国の冬は寒いし、これじゃまともに使えないんじゃないのかなぁ、と納豆好きの俺は思った。アイディアはGoodなので、より一層の工夫をヨロシク>mizkan。

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2009年01月23日

横に並んで道を塞ぐやつら

[うんちくん]
毎日非常に腹立たしく思うことがある。

俺が通勤に使う電車からは、たくさんの学生が降りてくる。その学生共は何故か知らねど、意味もなく横に並んで歩いてくる。通路は狭く、電車に向かう者はまるで悪者のようにコソコソと道の端をつたっていかねばならない。

そのくせ不思議なことに、コイツ等はわれ先に改札に向かう訳では無いのである。3〜5人で横に並び、道を塞ぎつつ整然と改札まで歩いている。であれば2列に並んだって3列に並んだって大勢に影響はないはずである。それなのになぜ通路を塞ぐくらい横いっぱいに並んで行進してくるのか全く理解できない。なんでオマエ等は縦に並んで歩けないのだ。バカなの?

しかし自分の事を思い返しても、学生の時は不思議なくらい友人と並んで歩いていたような気がする。つか、横に並んでくる奴が多かった。働き出してからは職場での力関係もはっきりするせいか並んでも2人くらいで、数人で歩いてもその並びは横から縦へ変化したように思う。

そうか、そういう事なのか。人は距離を置きたいときに縦に並ぶのだな。

それは良いとして、高々列車から改札までの距離を他人の迷惑顧みず仲良しこよし横並びして行進する奴は、どう考えても回りが見えていないと感じるし、自分の行動を客観的に見ることが出来ない奴なような気がしてならない。些細な事だが、こういう些細なことにその人の本質が表れるように思う。

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2009年01月04日

自動販売機は偉いのか

[うんちくん]
自動販売機で物を買うと、ぴったりの金額を入れない限り普通は返却口からおつりが出てくる。その返却口は小さく、機械の下の方に付いている場合が多い。また、商品取り出し口も機械の下に付いているものがほとんどだ。

先日自販機で缶コーヒーを買った。小銭がなかったため1000円札を入れ120円のコーヒーを選ぶと、ゴトンと商品が取り出し口に落ちてきた。チャリンチャリンチャリンとおつりが返却口に出てきたが、なんだか音がしている時間が長い。嫌な予感がしてかなり下に付いている返却口に指を入れたが、返却口がちいさく指が二本しか入らない。そして嫌な予感は的中しており、おつりはなんと全て100円玉と10円玉であった。100円8枚、10円8枚、都合16枚もの硬貨がその小さな返却口の中に入っているのである。平身低頭し返却口に指を入れ、そろりそろりと硬貨を取り出したが、そのうち数枚は努力虚しく地面が受け取った。さらに平身低頭して地面に落ちた硬貨を拾い、そして最後にまたまた平身低頭して商品を取り出した。

商品を自動販売機から購入するたび、本来であれば自販機が頭を下げるべきところを何故購入者が頭を下げなくてはならないのか理解できん。なんで買った方がペコペコしなきゃならんのか。自販機製造メーカーは良く考えろ。

そして返却口は小さい。頭を下げた状態でうまく硬貨がとれるのか、自販機メーカーは一日中ずっとおつりを取ってうまくおつりが取れる形状かよく研究しろアホ。オマエ等のせいで、日本全国の人何人が頭を下げているのか考えろ。そのエネルギーたるやどのくらいになるのかわかっているのか?

なに?わからない?じゃあ算出してやろう。
信憑性は知らんが、国内自動販売機市場の概況という住友銀行の資料を見ると、2006年12月時点の自販機は551万5700台だそうである。それに対しての売上は6兆8302億円で、一台あたりにすれば123.8万円/年となる。商品はタバコとか券売機とかいろいろあるので商品単価はさまざまだろうが、面倒なので商品平均単価を200円と仮定してみる。するってーと、一日の自販機の平均販売個数は次のとおりだ。
売上年額÷365日÷商品単価
=6兆8302億円÷365日÷200円 = 93564383個/日(9356万個/日)
人は大体2000kcal程度のエネルギーは必要とすれば、しゃがむだけでも1kcal程度は必要だろう。となれば、この自販機のせいで9356万kcal、人間に換算すれば
93564383kcal÷2000kcal/人=46782人
なななんと、自販機が謙虚になって客に頭を下げさせないように心を入れ換えるだけで、4万7千人弱のエネルギーが浮くかも知れんのだ。

ただでさえいつでも電気を食っている癖に、人間様にまで余計な労力を強いる自販機共とその親玉である製造メーカーは、上記の事を十分に認識して心を入れ換えられたい。

頼むよほんと。

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2008年11月04日

怪獣映画に関する疑問

[うんちくん]
怪獣映画というか巨大怪獣が出てくるやつ全てについてなんだが、先日ウルトラマンがどうのこうのとかやっているTVをみていてムクムクと疑問がわきあがってきた。

怪獣はとにかくでかい。身長は50メートル前後、体重は60トンとかである。ただ、地球上に現存する生物で最大のシロナガスクジラは体長20~30m、体重100~200tらしいので、その比率からいけば怪獣は軽い。つか、組織が似たり寄ったりの場合、普通は身長が30倍になったら重さは30の3乗倍=27000倍になってしかるべきで、ということは怪獣は1600トン以上でなくちゃ変だしもし60トンで済むなら発泡スチロールのような軽い組織がでないとおかしい生き物となってしまう。また、言い尽くされた話ではあるが、1600トンもの体重を支えるためにはもっと太い大腿部と大きな足が必要らしい。そういう意味ではガンダムなんてバランスが超変だよな。この矛盾だらけの設定が目に付くガンダムを俺は見だこだねいう話はどうでもいい(参考 理想のモビルスーツ設計論)。

そのような矛盾はさておき、この怪獣、そのほとんどは最後に殺されてしまう。木端微塵にされてしまう怪獣もいれば、ただ単にごろんと死んでしまう奴もいる。怪獣の組織が地球上の一般的な生物に近いとなれば、その体重のほとんどは「水」だろう。木端微塵になれば土砂降りのように怪獣の体液と肉片が降り注いでしかるべきだし、その怪獣の破片は数日もすれば腐り始め異臭を放つ。そうなれば、怪獣が粉砕された中心から周囲数百メートルではとんでもなく臭いはずだ。

そもそも家の生ごみでさえかなり匂う。人間の腐乱死体はとてつもなく臭いらしい。アパートの一室から異臭がして大家が入ってみたら腐ってました、なんて話はよく聞く。人間のサイズでそのくらい匂うのだから、巨大怪獣が死んで腐ったらどうなるのか。

人間の場合、死後5日程度すると腐敗ガスが全身に発生するらしい。これは硫化水素・二酸化炭素・アンモニア・メタン・インドール・スカトールなどの混合した気体だそうで強い臭気を持つとのことだ(参考 科学捜査2 グロ注意)。つまりその匂いは目に刺さるような感じで、そのままでは匂いで気分が悪くなる奴が続出し、息をするのさえためらうほどになるはずだ。この腐敗ガスの一部は有毒なため、匂いだけでなく人体にも害をもたらすものだ。怪獣がそのまま死んでしまった場合も同じで、死体は腐乱し蛆がわき想像を絶する状態になるのはまちがいない。

よって怪獣の死体周辺は数Kmに渡って立入禁止となり死体処理作業に追われててんてこまいとなって然るべきと思うのだが、怪獣映画などはこのことになぜ触れないのかまことに不思議だ。

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2008年10月22日

質問者と回答者のマナーで納得できないこと 追記

[うんちくん]
質問者と回答者のマナーで納得できないことについたブコメなどを見ながら、うーん、ちょーっと違うんだよなぁという感じが強くなったので追記。

まず、自分で調べるということについてだけれども、先のエントリにも書いたとおり、自分で調べるスキルを持っている人は思った以上に少ないものです。なぜ調べられないかというと、検索エンジンの効果的な使いかたを知らないからという理由がまず思い浮かびます。さらに、調べることが下手な人を観察すると、検索窓に入れるキーワードがたったひとつの場合が多いようです。ひとつのキーワードで検索するもんだからトンデモナイ数のページがヒットしてますます混乱、パニクって以降検索には手を出さないという必殺パターンにはまるといった感じでしょう。こういう人はキーワードを複数入れて検索する、いわゆるAND検索を覚えれば技術的には改善する可能性があります。

もう少し深刻な人は、検索エンジンを知らないようですね。知らないというより使う気が無いという感じかもしれません。トップページにあるYahoo!は見たことあるけど、そこから先が・・・みたいな人ね。まぁ、これも経験と慣れが解決してくれるかもしれません。

根本的な問題はそんなところじゃないんです。調べられない人に共通しているものすごく大きな問題は、とにかく「言葉を知らない」という事です。言葉を知らないから現在遭遇している困難を言い表せないのですよ。マンツーマンで実際にヘルプする場合にはその会話の中からその困難に対する処方箋を捜し出すことも可能ですが、言葉を知らないから手助け無しに探すことなどとてもじゃないが出来ません。そんな人に「ぐぐれかす」は所詮無理なのわかんないかなぁ。いや、わかっていてもワザと突き放しているのでしょうけれど。

言葉を知らないというのは単なる現象面での事ですが、言葉を知らないということの本質を言えば、その言葉の内容を全く理解していないという事です。その逆に、言葉を知っていることはその事をおぼろげながらも知っていることで、自分で調べられる人と言うのは、もともとそれなりに基礎的な知識はある人なんですよね。調べない人は単に目の前の障害を乗り越えればそれで良しという人がほとんどですから、いつまで経っても基礎を理解しないし理解する気もないのですよ。「まずは自分で調べる」という言葉には、そういう調べない人の本質についての認識が余りに足りないような気がします。そういう意味では「ぐぐれかす」と反応するのさえ余計な行為で、「カスは捨ておけ」を実践するべきかもしれませんね。

自分で調べて解決する人は、その情報を探り当てる能力が非常に高いものです。自分で解決できない人は、同じキーワードで検索しても出てきた情報をしらみ潰しに見ていくことが多いようですが、自分で解決しちゃう人は鼻が効くとでも表現したらいいのでしょうか、ヒットした情報の中から有益な情報を少ない手数で引き出す確率が高いように感じます。さらに、検索キーワードが適切ですから、初期段階での絞りこみも申し分ありません。さらにさらに、そのページをぱっと見て素早く有益か無益かの判断を下してしまうんですね。おそるべし。

こういう差は、実際はなかなか埋まりません。ローマは一日にして成らずの例えのとおり、永年かけて蓄積した経験とポインタの数には圧倒的な差がありますからね。だから専門家が飯を食っていける訳で、「まずは自分で調べましょう」が本当に正しく誰でも簡単に実現可能であれば専門家など必要ありません。

Q&Aや掲示板で「マナー」が取りざたされる理由は、「無償」ってことがキーワードかもしれません。有償であれば自分でどうにかしようと考える人も増えるかもしれませんが、無償であるが故に自分のコストだけを引き下げようとする輩も当然出現します。そういう「自分だけ良かれ根性」が絶対サポセン黙示録のような笑い話や質問者と回答者のマナーについてとか教えて君と屑回答者のような話を生んでしまっているのかもしれませんね。

まぁ、とにかく基本を覚えようとする気の無い人多杉。そういう人はこんな不便なパソコンなんて使わないで変な動作をしないケータイとか今は亡きワープロ専用機とか使っていたほうが幸せだと思うし、使うのなら回りに迷惑を掛けないよう覚悟して取り組んでほしいと思う今日このごろ、みなさんは如何お過ごしでしょうか。体だけは気を付けてくださいね。

[関連エントリ]
質問者と回答者のマナーで納得できないこと
技術系メーリングリストに何を求めているのか

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2008年10月20日

ネガティブとかポジティブとか言う前にするべき事

[うんちくん]
心も職場も変える2つの「セルフトーク」:NBonline(日経ビジネス オンライン)

ここに書かれてある「セルフトーク」なるものは、つまりは自分の思考が言葉に変わったものだろう。だから、あとでどんなにポジティブな言葉に書き換えようとも、もともと出てくる感情は大きく変わるものではない。後付け上書きで自分を納得させるのもひとつの手段だが、その「ネガティブ」な意識を持たないようにするための方法が「セルフトークの観察者になればいい」としか書かれていない。これではどうすればいいのかわからない。

「セルフトークの観察者になればいい」とは、「事象だけを捉える」と言い替えていいだろう。過去に起こった事や将来起こりうる事に対し感情が入るからポジティブとかネガティブになるのであって、事象自体には何の意図も無い。その物事の事実だけを正確に捉え、その事象から派生するであろう事態を想定することの方に力を注いでおけば良い。簡単に言えば「予測する」ってことだ。その場合も可能な限り感情は省く。予測の精度を高めるのに感情は不要だ。いや、感情や思い入れは邪魔でさえある。その想定される事態に合わせ、自分のストレスが一番少ない方法はなんであるかを考えておけばいいのである。物事が自分の嫌な方向に流れないよう早い段階で打てる手は無いかについて考えておけばいいし、もし嫌な方向に流れても既に予測していることだからさっさと諦めてしまえば良い。

そう簡単に行くかバカなんて思う人もいるかも知れないが、実際は至極簡単だ。今まで悩んで来たことのほとんどは忘れているし、何が起こったってどんなに悩んだって明日はまた来て死ぬときゃ死ぬ。ワクワクしていたけど非常に辛い思いをしたとか、その逆に嫌だったけど実際やってみたら楽しかったとか、やる前に抱いていた感情なんてアテにならないものだ。対処方法は考えておくべきだが、事象の予測に感情など全く必要な無いのだ。そんな自分の勝手な想定に不安になるより、やってみて自分の感情がどう動くのかを楽しんだ方がよっぽどマシだろう。

さて、もう一点、このセルフトーク、自分だけで気を付けていても効果は薄い。職場などではもっと簡単に効果を上げる方法がある。それは「セルフトークを口に出してしまう人」をうまく使うことだ。どの職場にも愚痴ばっかり言う人がいると思う。その中でも性格的に明るい人の「セルフトーク」をみんなに聞こえるようにどんどん喋らせるのだ。その「公開セルフトーク」に対し、“観察”と“上書き”を第三者が行っていけば、その「公開セルフトーク」が多数の「セルフトーク」となる場合が多い。釣りバカ日誌の「ハマちゃん」みたいなもんだね。そういう「公開セルフトーク」を明るくできる人材は、仕事をこなす能力が高いだけの人材よりよっぽど生産性向上に役に立つもんだ。

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