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2017年05月06日

みんな善い悪いと好き嫌いを混同してるよね

[つれづれなるままに]
最近、善い悪いと好き嫌いを同列扱いするから残念な結果につながっている気がしてならない。例えばこんなやつ。

「消防車で団員が食事に」で謝罪 ネット「ご苦労様で済む話」

ゴミ収集車の職員にクレーム「まだ来てねーぞ!今すぐ来い!」

波瑠が心境を告白 「あなたのことはそれほど」の役柄に批判殺到で

高樹沙耶被告「社会的制裁を受けた なんで毎日謝らなければいけないのか」

SNSなどで簡単に情報発信が出来る様になったせいか、個人の「好き嫌い」レベルの話がどんどん広まる。広まるのはいいが、なぜか「それって単に貴方が嫌いなだけなんじゃね?」という話が悪いこととして捉えられたりする。端的な例が喫煙ネタ。煙草は成人になれば吸ってもよい。善悪で言えば法律的には悪ではない。ついでにいうと、今のところ日本では受動喫煙に対する罰則もない。だから人の近くで煙草を吸うか否かは、喫煙者の「善意」に期待する部分が大きい。善意や好き嫌いなど個人によって判断基準が違うことを、これまた個人の基準、簡単に言えば感覚で話をするからおかしくなる。

子供がうるさいから近所に保育園を作るなといった保育園ネタとかもそうで、うるさいというのは何を持ってうるさいと言うのかをまず決めなければ話が進まない。基準を決めれば当然賛否両論になる。だが100%の人が満足出来ることなどあるはずがない。

で、ここからが本題。俺は「いいね!」が世の中をおかしくしているんじゃないかと思っている。評価軸が好き嫌いか善い悪いかわからない「いいね!」だけというのがそもそもの間違い。最低でも「好き嫌い」と「善い悪い」の二軸にて評価すべき。嫌いだけどやるべきこととか、好きだけどやっちゃいけないこととかをしっかりと分類したほうがいいよ、絶対にね。


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posted by oyajiman at 2017年05月06日 22:00:00



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