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2017年01月29日

特定の民族の人権は無視していいという教育をする国とは距離を置くしかない

[これでいいのか]
個人的に衝撃を受ける記事を読んだ。

呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出

ショックだったのは次のくだりだ。

 韓国の教育界は、小学生のときからこうした教育を受けさせることで、伝統的な侮日観をしっかり身につけさせていこうとしている。これによって、相手が日本人であれば、その言動は「倫理・道徳にもとろうとも構わない」という意識が植え付けられていく。

 韓国の著名な小説家・翻訳家の李(イ)潤(ユン)基(ギ)氏も新聞コラムで、韓国では「相手が日本人ならば、ちょっとやそっとは無礼であっても構わない」が通念になっていると書いている(「日本人に対する礼儀」東亜日報2006年1月4日付)。いや、「ちょっとやそっと」どころではない。実際には「どんなに」無礼であっても構わないのである。
日本人には何をしても構わない。それだけでなく、日本人は侮蔑すべき対象と教育をしている国らしい。いくらなんでもそこまでは・・・と思っていたが、これは考えを改める必要があることを痛感した。

かなり昔にも書いたが、反日教育をする国とは距離を置くべきであると思う。ましてや侮日となれば相手にする必要さえない。そもそも、特定の民族とは言え、誰かの人権など無視してもかまわないという教育を行っている事自体が恐ろしい。そんな国民と対等に話ができるはずなどない。相手は卑屈に蔑んで日本人を見ているのである。そんな意識を小さい頃から植え付けられてしまっている。

他国の教育に口出しをすべきではないのかもしれんが、彼の国は人権を無視しても良いという教育をする国であることは十分認識すべきだろう。そして、いわれのない恨みを持っている国民であることも、しっかりと覚えておかねばならない。そんな国を相手にするほうが間違っている。相手は話しても理解出来ない相手である思うべきであり、それそれ以上でもそれ以下でもない。

もうあんな国を相手にするのはやめるべきではないのか。


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posted by oyajiman at 2017年01月29日 22:00:00



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