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2014年05月07日

社会経験のある者以外公務員に採用するな

[つれづれなるままに]
セクハラは日常茶飯事元エリート裁判官(瀬木比呂志氏)が明かす 裁判官は正義より出世が命です  | 経済の死角 | 現代ビジネス [講談社]

こういうのを読むと、閉ざされた社会の中しか知らない奴は危ないな、と改めて思う。俺自身は裁判官に知り合いはいないので、裁判官のことはよくわからない。しかし、学校の教師には同じような感覚を持ったことが何度もある。いや、何度もというより、まっとうな感覚の教師のほうが少ないのでは無いかとさえ感じる。

社会通念に乏しく考えや思想に偏りがあり自分の意見が正しいと思い込む。偏見かもしれないが、俺にはそう見える。そんな人の集団である学校(の教師)は、まさに不気味な存在で、どうしても馴染めなかった。高校・大学になると教師への依存はなくなり、教師に求めるものが学問のみにシフトしていくため違和感はかなり減ったが、小・中学の頃は本当に学校の先生が嫌いだった。なぜ嫌いだったのか。今思い返してみると、理不尽な事を言うだけならまだしも、その動機が生徒のためでなく全て自分の為という所が垣間見れたからに他ならない。

かなりまえに先生逝ってよしというエントリを書いたことがあるが、この気持は今でも変わっていない。繰り返して書く。大学出て社会の荒波にももまれず学生気分のまま先生になったって子供が子供に教えているようなもんだし、先輩の先生もそんな特殊な環境の中でしか生きていないわけだから変な奴になって当り前だろう。小学校の先生こそ人生経験豊富なバランスの取れた人間であるべきだ。裁判官も同じだ。税金で給料をもらっている輩は、全て人生経験豊富なバランスの取れた人間であって欲しいと強く思う。


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posted by oyajiman at 2014年05月07日 01:00:00



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