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2013年12月02日

権利ばかり主張するのは如何なものか

[つれづれなるままに]
友人が知人から仕入れてきた話。

その知人の会社の一人が、ユニ○ンに駆け込んだらしい。その知人の会社は組合がないので、会社と戦うにはその方法が一番だったのだろう。こういうところに駆け込まれると色々面倒で、総務などはその対応にかなりの労力を費やされてしまうらしい。自分の権利を主張する社員に大きなコストをかけることになるのだ。そのコストは賃金などだけではなく、こういう対応等の時間的労力的コストも含まれる。

俺としては、駆け込んだ人間が会社にとって貴重な人材かというのが気になったので友人に聞いてみたところ、友人もそれは気になっていたらしく、知人にそのことを聞いてみたのだという。知人が言うには「全然。必要どころかいないほうがいいかもしれんね。」という答えだったという。

弱者を救えとか言う奴がいるが、本当の弱者は声を上げずに消えていくことの方が多いのではないか。声を大にして自分の権利や要求だけを叫ぶ奴は、かなりの確率で周囲から疎まれる人間が多い。そして周囲にも迷惑をかけるのだが、結局自分さえ良ければそれでよしなので周囲を気遣うこともない。

駆け込んだ人間は会社に何を求めているのだろうか。求めるだけだから与えられないことがわからないのだろうか。本当に必要な人間であれば、誰かが話を聞いてくれる。その人にはそんな人が周囲にいなかったのだろうか。周囲の人間さえ味方にできない人が主張する権利は、果たして妥当性があるものなのだろうか。そんなことが頭をよぎる。

前のめりになって死ねなんてことは言わない。しかし、周りが気を使ってくれるようになりたいし、それはまた自分が周りに気を配ってこそ得られるものだと思う。GIVE and TAKEという打算的な話ではない。我が子のことを思うように相手を思いやる。そこには見返りを求めることはない。それが出来ない奴が権利だけを主張しても、単なるわがままにしか聞こえないように思うのだが、どうか。

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posted by oyajiman at 2013年12月02日 23:48:15



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