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2011年04月29日

上司としての資質

[つれづれなるままに]
先日、とある仕事でミスをした。俺のモノサシだとミスしたうちに入っておらず、特に今回の仕事の分野の俺のモノサシはかなり大雑把に出来ていて「あーやっちまったねー」くらいにしか感じていない。その仕事の効果はそれなりにあったようで、多少はお客を呼べたように思う。

しかし、上司にはその集客はさておき「なんてことしてくれたんだ」と怒られた。怒っている理由は2つで、まず1つは内容について報告していなかったこと、2つ目はそのミスについてのようだった。俺としてみれば今までとほぼ同じ費用を使って違うことをしたつもりだったので、かしこまって報告なんてする必要性を感じていなかったのだが、まぁサラリーマンなんだから承認を得て責任逃れをする体制は作っておくべきだったかもしれん。ミスについてはまったく言い訳のしようがないので怒られたってしかたがない。

この一連の出来事で、もし俺が上司の立場だったらどうしたか考えてみた。もし俺だったらこのミスややり方を怒るだろうか?このミスが初めてだったらまず怒ったりはしないだろう。仕事にミスはつきものだからだ。というか、慣れない仕事でまったくミスしないヤツなんてほとんどいない。だから、今後起きないようにするためになぜが起きたのかを簡単にヒアリングし、そのポイントを把握しておくだろう。そして「次からはこうしなさい」と言うだろう。その前に、仮にそれなりの成果が見えているようであれば、その成果について一言言うと思う。

何かアクションを起こすことは思っている以上にパワーが必要だ。また、波風が立ちやすいのでアクションを起こしたあとは風当たりが強くなることも覚悟しておくべきだ。これは事の大小に関らない。一歩踏み出すときにはそれなりに緊張するのである。その緊張を解きほぐし「やってよかった」と思わせるのは、部下でも同僚でもなく顧客か上司しかいないのである。その思いが更なる一歩を呼びこみ、物事はいい方向に変わっていく。

また、再び同じミスが起こるであろう確率を少なくするために、ポイントを把握し共有することが非常に重要になる。これをノウハウというのだろうが、そのノウハウの積み上げと共有化を無くして物事は前進しない。転んでも起き上がることは大切だが、もう一つ進むためには転んであとにタダで起きてはダメなのである。

負の連鎖に巻き込まれているところは得てしてこの逆で、出来が90点でも10点足りなかったことをネチコチ指摘される。なんで転ぶんだと怒られるのである。「ダッシュしたらつまずいたんだよ。なんでつまずいたか?そんなの知るか!」 転んだ方はそんな気分だ。覚悟を決めて一歩を踏み出し、挙句の果てにミスばかりを指摘されていると、気分は▲10点になってしまう。▲10点よりだったら0点の方がまだましなので、誰もなにもしなくなるのだ。だって転ぶと痛いだけだもんね。かなり面の皮が厚い俺でも少々気になるのだから、若い社員などはミスだけを指摘されたら気になって仕方がないに違いない。

まぁ、そういう企業文化で育ってきたからそういう上司が生まれるんだろうけどな。

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posted by oyajiman at 2011年04月29日 23:00:00



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