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2011年01月01日

人を動かす力

[つれづれなるままに]
先日、俺が会社に行くと職場の雰囲気がなにやらおかしい。なんだべーと思ったが、こまけぇことはどうでもいいんだよ男の俺はさほど気にすることもなくスルーしていた。

後で聞いたのだが、雰囲気がおかしかったのはとある人たちがバチバチやりあったかららしい。実はその大元の原因は俺が作ったようなもので、俺がもう少し気がついて指示していれば何事もなく終わっていたことだったと思う。俺はその業務に初めてタッチしたので、かなりポカをやらかしてしまった。いろいろな人に話を聞きながらやったつもりだが、パソコンのQ&Aのようによく判っていない奴の質問は質問自体が支離滅裂である。だから聞いた俺も教えてくれた奴も曖昧なままなことが多かった。しかし手を貸してくれる人間もそんなにいるわけでもなく、慣れた人間から見れば「なにやってんだ?」というレベルだったのは間違いないだろう。

俺は俺でその業務以外にも結構な量の仕事をかかえ、全部を満足の行く状態で仕上げるには時間があまりにも少ないと感じていた。本当は誰かに仕事を振りたかったのだが、残念ながら俺の要求に今すぐ答えてくれるような人間は見当たらないし教える時間も無い。結局自分一人でやるしかなかった。その時間的能力的無理がそのまま成果にも出てしまったわけであり、そしてそのやりあった人は俺の尻拭いをするハメになった人達だったのである。

人は自分から進んで誰かに手を貸すことはあまり無い。それは不親切とかそういう話ではなくて、出来れば楽をしたいという人間の自然の欲求だと思う。ましてや人望があまりないのであればなおさらだ。だから今の職場にいる期間の短い俺に手を貸してくれる人などいるはずも無いと思っていた。そのような中でも黙って手を貸してくれた人間には本当に感謝している。やりあった人達も俺に手を貸してくれた人達なのだが、その一人は「なぜ判っているのに手を貸さないんだ」と怒り、もう一人は「指示されていないことを職位を越えてまでは出来ない」と言ったらしい。

俺を庇ってくれた人がいたのはうれしかった。それは、庇ってくれた人には俺の姿がそれなりに仕事を全うしようという姿に見えていたということの現れでもあるからだ。その半面、手を貸してくれた人同士がやり合う状況を作ってしまったのは、俺の指示命令が不完全であったためであるのも紛れも無い事実だ。次はこのような事の無いようにしなければならない。同じ失敗は二度と繰り返してはならないのだ。

ただ、能力の限界に近い状況を長く続けていたことで、周りにもなんらかの刺激を与えることが出来たことはよかったように思う。今の職場には感情に乏しく全てが他人事のように思える人も大勢いるが、そういう人達にもなんらかの刺激を与えられるようになりたいものだ、と改めて思った。

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posted by oyajiman at 2011年01月01日 23:00:00



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