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2009年06月10日

「残念」とは期待が外れたときに使う言葉

[うんちくん]
日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) - ITmedia News
Web、はてな、将棋への思い 梅田望夫さんに聞く(後編) (1/3) - ITmedia News
これがアップされるころにはすでに沈静化していると思うが、話に少々違和感があったので書いておく。

なんといっても不思議だったのは、このあたり。
英語圏ネット空間は地に着いてそういうところがありますからね。英語圏の空間というのは、学術論文が全部あるというところも含めて、知に関する最高峰の人たちが知をオープン化しているという現実もあるし。途上国援助みたいな文脈で教育コンテンツの充実みたいなのも圧倒的だし。頑張ってプロになって生計を立てるための、学習の高速道路みたいなのもあれば、登竜門を用意する会社もあったり。そういうことが次々起きているわけです。

 SNSの使われ方も全然違うし。もっと人生にとって必要なインフラみたいなものになってるわけ。
そういう使われ方を望んでいたけれどそうはなっていないことが「残念」の理由の一つのように読める。しかしそれは逆ではないのか。

電話の使われ方を見ると、電話が高価だったころは「意味も無く長電話するな」とか言われ、本当に必要なことを伝えるために使うものだった。それが一家に一台が当たり前になり遠距離の電話料金が引き下げられるなどしてコストが下がった結果、遠距離井戸端会議的な使われ方も多くなったし、それが否定されることも少なくなった。そして携帯の普及によって一人一台の時代がやってきて、通話以外にもメールというツールも身近なものになった。そしてその使われ方は、今まで以上に「遊び」の要素が増えたといえる。

webとて同じで、人生にとって必要なインフラという状態を飛び越えて「遊び」にシフトしたのが日本ではないのか。そういう意味では、より成熟した使われ方なのではないかと思う。というか、知の伝達みたいなものだけであればメールやメーリングリストだけでも十分間に合いそうだ。

後編の近藤氏への思いを読む限りでは、かなりの自信と自負をお持ちのようである。であればなおさら、webを上に上がるためのインフラとして使うにはどうしたらよいのか、せめて方向性だけでも示すべきではないかと感じる。それが「将棋」だと言うのであれば残念だ。


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posted by oyajiman at 2009年06月10日 23:00:00



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