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2009年01月16日

タクシー議論でわからないこと

[つれづれなるままに]
年末から年初にかけて、タクシーについての話で盛り上がりを見せていたところがあった。興味があったのでしばらくウヲッチしていたのだが、そのコメントのなかで俺には理解できない点、疑問に思う点があって、それはまだ全く自己解決(要は納得)出来ていない。

そのコメントによると、タクシーの台数規制が必要な理由の段階的な説明は以下のとおり。
・現状の流しのタクシーの消費市場は「悪貨を退場させる力」に欠ける
・東京23区の事業者は自社の市場シェアを高めたいと考える
・市場シェアを高める手段は他社が減車することと自らが増車することである
・他社が減車することは自分の意志では不可能である
・よって増車しようと考える
・タクシー会社は、市場が供給不足でも供給過剰でも、常に増車したがる
・規制当局が増車を自由にすると車はどんどん増える
・増車を抑制するのは消費市場ではなく労働市場になる

とりあえずここまではわかった。理解できない点は、労働市場になった場合、その市場に魅力が無ければ自然と供給される労働力も下がるんでないの?ってことだ。供給される労働力が減れば、いくら増車したくても出来なくなるのじゃないかと思うのだけれど、苦しくてもなり手があるから現状があるんじゃないかと・・・これは本来このあと続く話なのであろうが、残念ながらこのあとが無い。

ちなみに俺の従事する「フードサービス業」は、市場的にはそこそこ労働力を吸収できるバッファを持っていると思うのだけれど慢性的な人手不足だ。この理由の一つが「実入りが少ない」ということじゃないかと思っている。要は魅力のない労働市場ってことだ。実入りが少ないとかキツイとか厳しい状況ばかり伝えられているのに今だタクシーが減らないってことは、労働市場として一応成り立っているって事じゃないのだろうか。それでなにか問題でもあるのか理解できん。現状が全て正しいなんてことは言わないけれど、個人事業的な商売と見てもいい歩合制タクシー運転手にリスクがあるのは当然で、そんなリスクを承知で働いているのではないのかと思う次第。このあたりは池田信夫氏の意見に賛成だなぁ。

タクシー「過当競争」の嘘 - 池田信夫 blog

疑問な点は、もし規制でタクシーを減車した場合、そこから溢れた人達はどこにいくのだろうってことだ。誰かを保護すれば誰かが溢れる。結局は業界全体での労働調整でしかないし、減車で余った原資を残った人で分けるだけのように見える。そして、溢れた人は収入0である。誰かを守るには誰かを殺さなきゃダメなのは変わっていないし、守ってやったら守ってやったで「俺も俺も」と言い出す奴が必ず出てくる。ある一定の線引きは必要だが、やり始めたらきりがないように思う。溢れさせてまたキャンプでも(する|させる)のだろうか。



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posted by oyajiman at 2009年01月16日 22:30:00



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