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2008年07月11日

出来ない奴を見極める

[うんちくん]
先日とある部署の売上登録方法を変更した。その変更はセキュリティの基本に習ってユーザの権限にかなりきつい制限をかけ使える機能を絞ったのだが、当面は試験運用とし、使ってもらいながらトライ&エラーで変更を加えていく予定であった。だから文句が出ることは百も承知だったのだが・・・

初日は実際に使った人から、具体的に「あの機能は使えるようにしてほしい」という要望があった。まぁこれは当然の要求だ。このような要求をつぶしていけば、一ヶ月もすればそれなりの落としどころに落ち着き、普通に使いつついい加減さはなくなるだろう。順調といえば順調な滑り出しである。

問題は二日目に起こった。初日休みの奴がいて、そいつもまた「この機能も使えるよう追加してほしい。」といい始めた。まぁこれはよい。問題はその後だ。「こんなめんどくさいことを何でしなければならないのだ。」とか「こんな制限をしなくても、『過去のデータは修正しないでくれ』と頼むだけでいいだろう。」とか、あれこれグダグダ言い始めたのである。それも例に洩れず回りに聞こえるような声で独り言をつぶやくのである。その独り言を聞いて今まで黙っていた奴も騒ぎ始め、「あなたは出来るかもしれないけれど私達はそんな難しいことできない。」とかあぼーんなことを言い出す奴も出てくる始末。

そもそもこの制限、過去のデータを勝手に修正するなと何度も注意したのにも係わらず、まったく改善されなかったために行ったものだ。簡単に言えば「アンタ等がいい加減だから制限したんだぜこのスカタン」って話なのである。「なに本末転倒な文句言ってんだこのアホンダラ」と一喝したくなるが、アホウに係わるとこちらも3の倍数アホウになるので無視。しかしあまりにしつこいので「どうにでもデータを操作出来るから間違えたりするのであって、それを自分達で改善できないのであれば操作できないようにするしかないよね。」と優しく伝えた。

間違いを起こさせないようにする最良の方法は「間違いをしないように注意しましょう」と呼びかけることではない。間違いを犯す可能性のある手順を排除することである。この制限は、間違いを修正するコストと制限をかけた場合のオペレーションコストを比較した結果の対策なのだということを全く理解できていない。そもそも、オマエらが適当なことをしなければこのような制限はかけられなかったことをまず理解すべきなのだが、出来ない奴にそんなことを要求する方が間違っているのは言うまでもない。

日常のオペレーションの変更は、普通はそのうち慣れてくるものである。出来る奴は最初にオペレーション上の問題点を想定し、その上で実際にやってみて問題点を理路整然と列挙してくる。つまり改善点を持ってくることが多い。逆に出来ない奴は問題点の想定が出来ない、今までのパターンから抜け出せず変更についてこれない、自分の言葉を持たずに他人の文句に便乗するなどの特徴があり、今回もその例に洩れない。

出来ない奴を見極めるのは非常に簡単である。今までの仕事のやりかたを変えて見れば良い。素早く適応しさらに改善する奴がよく出来る奴、黙ってなにごともなかったように適応する奴が出来る奴、少々文句を言いつつ適応する奴が普通の奴、文句ばかり言って騒ぐ奴は出来ない奴、他人の文句を自分の文句にする奴は組織の足を引っ張る奴である。


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posted by oyajiman at 2008年07月11日 22:05:42



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