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2007年08月30日

平等という幻想と格差

[これでいいのか]
格差社会について一部で盛り上がりを見せている模様。そもそも格差という言葉の意味は
「平等が期待されるものの間に現実に存する、高低・上下・多賓の開き。」
である。言葉の意味だけから考えると、格差が生じるのは平等を期待するからであると言えなくもない。

身長や体重、バストやナニの大きさなどについて、格差と表現するバカはいない。当たり前だがそういう使い方は普通しない。なぜこれを格差と言わないのかというと、個体差があって当り前と認識しているからだ。ではなぜ所得については「格差」と言いたがるのだろう。

簡単にいえば「妬み」だと思う。不労所得で大きな収入を得る人が多いというのも一因かもしれない。しかしそれも「妬み」である。

平等といえば聞こえはいいが、不平等があるから平等も存在するのである。全てが平等である所に「平等」という言葉は存在しない。日本人は、なぜこれほどまでに「平等」を好むのだろうか。とても不思議だ。

同じような現象に「差別」があるように思う。近年になって差別用語といわれる言葉が大幅に増えた。差別用語ではないが、今でも忘れられないのが「アホロートル」である。「阿呆なロートル」という意味に取られるのを避けるため、日本だけ「ウーパールーパー」としたのだ。バカバカしいにも程がある話ではないか。俺の記憶が正しければ、この改名騒ぎの頃は昭和天皇が体調を崩した頃で、日産セフィーロのCMでの陽水のセリフ「みなさーん、お元気ですか?」が不謹慎だからセリフが消されるということさえ起こっているころだったと思う。

差別と区別、何が違うのだろうか。差別用語と言う言葉は、本来ならば「侮蔑用語」と表現するべきである。日本人は、あまりにも「差」や「等(しい)」という文字に敏感過ぎるのではないだろうか。

もっと言えば、この侮蔑されたと言う意識は劣等感から来るものであり、結局は自分が自分を卑下していることが原因となっていることが多い。これは差を許容できないことが発端なのである。差があって当り前なのに、幻想の「平等」をちらつかせる事が根本的な原因といってもいい。もっと極端に言えば、空を飛ぶ鳥を見て「あの鳥が(俺には出来ない)空を飛ぶ事が出来るのは許せない。」と思うバカがいるのかということだ。鳥と人間を同列に扱わないから考えもしないだけなのだがね。アンタと俺は違うのに、あまりに同列で考えすぎていないか?と思うことは非常に多い。

格差社会と騒がれるくらい日本は平和なんだよな。いや、平和な暇人が多いって事かも知れん。ほんとうに日本はいい国だなぁ。



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posted by oyajiman at 2007年08月30日 01:50:38



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