Linuxからアホ話まで、何でもありでござる

2006年04月26日

Linux vs MSWindows

[MSあれこれ]
Linuxデスクトップの台頭に苦悩するマイクロソフト - CNET Japanという記事が出ている。

いつも思うのだが、Linuxの優位点はコストでしかないのだろうか。確かにコストは大きな優位点ではある。しかし、それだけであれば追いつくことは出来ても追い越すことは難しいだろう。

OSのデスクトップ争いでいつも思うことは、選択肢が少な過ぎると言うことだ。

たとえば、車であればその基本的な目的は「移動する」事であり、その目的のほかに移動させる物体の違いや快適性とか所有する優越感とかいった要素が加わり数々の車種が生まれているわけだ。当然性能もまったく違う。だが、車のパーツはほぼ共通であり交通の法規的なものも多少の違いはあれどある程度統一化されている。そのニーズによって軽自動車で十分とかトラックが必要とか大体選択できるわけだ。また、カーナビやカーステレオなどを削って安く手に入れることも出来る。

では、PCはどうなのか。PCの性能は多少選択できる。だが、多少の粋から出ていないと思う。また、そのOSもLinux、Mac、Windowsの3タイプくらいしかなく、自分の不必要な機能を削減することでコストを押さえることも不可能である。こういったことを車と比べるのは理論が飛躍しすぎるかもしれないが、本当の基本機能だけを安く提供し、その他はオプションという考えを取るつもりはないようだ。

これはいらない装備をつけて高いものを買わされているのと同じである。「あれも出来ますこれも出来ますが高いです。そして商品はこれだけです。」こういう販売方法がいつまでまかり通るのであろうか。

結局のところPCはデータを見て加工できればいいわけで、それを何のソフトで行おうがユーザの勝手だ。だからデータ規格だけきちんと標準化してやれば選択肢が増えていくように思うのだがどうなんだろう。MSOfficeで作った文章でもその文書の所有権は作成者にあるのだからそれをどう使おうと勝手なはずなのだが、MSOfficeのない環境でデータファイルから自分の作った文章を抜き出すことは容易ではない。デスクトップに凝るのもいいが、根本的なところの規格を固める必要性のほうがずっと大きいのではないかと思う。

また、物体的なイメージがもてないと人間はなかなか全体像が把握できないものだ。インストールされているソフトをダラーッと見せるのもひとつの手だが、それこそ使っているソフトを機能別に視覚表現する必要があると思う。そうして必要な機能、不必要な機能を選択できるようにするべきだと思う。それをもう少しすすめていけば、機能を限定しコンポーネントステレオのようにパーツをくっつけていけば機能が増えていく合体ロボようなPCができるのではないかと思うのだが…


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posted by oyajiman at 2006年04月26日 00:35:00



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